HRC

ロレンソ選手引退するんですってね。

ゆうべはホルヘ・ロレンソ選手引退にニュースがネットを駆け巡りました。
私はファンではあるものの、実は同氏が活躍していた頃ってのはモトGP 中継を茨城県で観ていましたがもうチャンピオンでアブラののり切ったところまで行っていました。それ以前は北海道でしたので中継番組は観られずであまり詳しい活動状況を知らなかったのです。
ふたたび中継を観始めたここ数年ではドゥカで上位の常連だったし、いつかはかつてのようにチャンピオンになるのではと思っておりました。それがねぇ…。
どんな方でも週末の時を迎えるとは思いますが、もう少し時間があれば彼の本来のパフォーマンスは出ただろうと思いますが、ホンダさんはかなりシビアに彼と接していたのかもしれませんね。モトGP …華麗なるバイク競争の舞台ではあっても、ビジネスなのだなとあらためて思わされました。
彼は体調が元に戻ればまたチャンピオンを凌駕するようなライディングを見せるでしょうし、それに期待したいです。
復活を願っております。

ホンダコレクションホールに行って来ました~館内にて(17/バイク篇~8.)

こんなこともう17回もやっているんだな、私。

今回は1990年代のドゥーハン氏無敵~2サイクル時代終焉時代です。

ドゥーハン車。
とにかくドゥーハンだけが勝ちまくっていた、そんな時代。
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同氏は足のケガでリヤブレーキをレバー操作化したのは語り草。

そのあたりのアップ。
92年~このモデルを通じて数モデルでまた扱い易い爆発パターン(あの「ビッグバンエンジン」。)になったそうです。
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NSR500V。

Wikipedia で開発の経緯を読ませて貰ったら、必ずしも明るい材料ばかりではなかったのですね。開発期間中いろんなことがあったようです。
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私は日テレで世界GP中継録画放映を毎月観ていたので、このマシンのバイザー部分に貼られている「Sete」名前デカールのライダー・ジベルナウのイメージが強いですね。でも本当はあの青木 琢磨氏がライドしていたんですね。その前は岡田 忠之氏。青木選手はあのハンディキャップを背負うきっかけになったテスト中の事故によってジベルナウ氏にシートを譲ることになったんでしたね。残念な話ではありましたが、当の青木氏はプロ四輪ドライバーとしてまだ活躍されているそうですね。スゴいなー!そういえば、青木氏のサイドカーをNCML(新千歳モーターランド)で見たことあったな。当時スタッフさんに聞いたら「たとえ3輪でも、まだバイクは乗りたいんだって。」って。その不屈の精神は今も彼をプロドライバーにしているんだな。
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話は脱線してしまいましたが、ホンダにとってほんとうにいろんなことがあった時代がこのVツインNSR の時代。ちょっと登場した時代が遅すぎたのかもです。

さいごにNSR250。
このへんの時代は
カダローラ
加藤
カピロッシ
ロンボニ
ビッグ・ネーム揃いでしたね。
市販車はネイキッドへ行ってしまって、だんだんレーサーはマイナーになってしまって、GPは4スト台頭で…と少しばかりマイナーになって行ってしまったような記憶があります。
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でも
それでも

絶対的・不滅の「かっこいい!」~がここにはありますよね!

(つづく。)

ホンダコレクションホールに行って来ました~館内にて(16/バイク篇~7.)

 ゆうべはがんばって、強烈な眠気が何度も襲って来た状況下でなんとか、わからないながらも1966年の5クラス完全制覇の偉業を成し遂げたマシンについて…たいしたことはないですが感想を書かせていただきました。
 さて本日は…?

 私くらいのバイクブームのまっただ中に居たライダーさんお待たせしました!やっとおなじみのマシンたちが登場です!
 ~とは言いつつも、かなりのサイトで取り上げられておりますので「いまさら解説もないだろう。」~と、いままで通り感想だけにとどめますね。

NR500。

 私がバイクに興味を持ち始めて、昨日書きましたバイクキ○ガイの友人に、RC166 の次に教えてもらったのがこのNR。
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「楕円形のピストン!?」
 私は中学からオーディオにハマッていたので「楕円」というと当時CD が流行り出すまでのアナログ盤につかうナガオカの「ダエン針」しかイメージ無かったんですよね。
「ピストンがダエン?」
…それしか無くて、ただ々「??」だったのです。
 あとからその超メカニズムの内容がわかってこりゃびっくり!そんなんでピストンがちゃんと摺動するんですね!

NS500。

ここから以降は何の解説も要らんでしょう。
みなさんのほうがめちゃ詳しいはず。
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3気筒で、ヤマハより1シリンダー少ないのにおなじパフォーマンスを出すスペンサー氏はハンパ無ェ!

こちらはNSR。
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ココ
 ガイドさんしっかり説明してくれますヨ。
「ライダーは『暑い』とのたまわれてたそうな。」~ってアレwww
 マフラー⇔タンクアップサイドダウンという“変態レイアウト”でしたからね~。
市販車だとヤマハが変態レイアウト得意なのに、レーサーになるとホンダが変態というww

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ここはあの有名な1985年の「ダブルタイトル」獲得マシンンコーナーです。萌え~。
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ハスラムの「elf」も。
昨年雑誌で特集組まれてましたね。
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 見てもよくわかんないけれど、クルマのダブルウィッシュボーンを90℃曲げたようなレイアウト。
 理屈でいくと、マシンの姿勢に関係なくキャスト角が一定でコーナー進入~脱出のハンドリングが変わりにくい…ってことになるハズ。
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エンジン本体をフレームメンバーにしてモノコック化。でもやはり2サイクル500c.c. のパワーに負けゃったんでしょうね。

89NSR。
ローソン車。
当時完全にヤマハのイメージが定着していたローソンがホンダに!これには驚きましたね!
当時「同爆」エンジンと呼ばれていたヤツ。
前年までのNSRのジャジャ馬ぶりにあのガードナー氏も閉口したそうで「人間が扱うんだから。」~とコントロールし易い特性へ開発の舵を切ったのですね。このあとさらに進化。
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NSR250。
カダローラ車。
250ってテレビ中継は“省略版”で1分くらいのリポートだったから、あまり記憶が無い…。
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 E.ローソン氏の開発力は素晴らしかったそうで、前年まであのガードナーでさえテールプリプリでまっすぐ走らせるの大変だったNSRを、ちゃんと前へ進むように仕上げてチャンピオンにしちゃうなんてさすがはレジェンドライダーですね。
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80年代はとにかく激しい競争の中、マシンの進化が著しくて、なおかつ市販車へのフィードバックも早かった。
そんな印象深い時代でした。

(つづく。)

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